伝統的な鍼から高麗手指鍼へ転換することの意味 その1

2016年の「手のひら先生高麗手指鍼講座」開設前に、その内容や考え方を理解していただくためのブログです。

治療家としてまた事業として鍼灸を行うのは、いまの環境でも困難が伴うことです。

鍼灸の置かれている環境は、いまも昔もそれほど変化はなく、経済が良くなったとか悪くなったとかに、それほど影響されてこなかったのではないでしょうか。

勿論悪い時に真っ先に影響を受けるのは、慰安目的のあんまマッサージであることは、いまも昔も変わりはないですが。

鍼灸治療に上も下も高級もそれ以外もありません。

それぞれ患者さんが経営は持っている目的に合わせて、治療内容を絞れば維持されるのです。

何も無理して背伸びをすることもないでしょう。

江戸時代の庶民の生活が最近は掘り起こされる、研究や時には映像となって明らかにされています。

江戸の鍼灸師はいまの家庭医(ホームドクター)の存在であったそうです。

何でも相談できる駆け込むことができる、今風なら駆け込みドクターとでも言うのでしょうか。

むかしは出産後の妊婦がお乳が出ないと、あんまさんがいまでいう乳房マッサージに駆けつけたりしていました。

それは戦後まであったと聞いています。

ちょっと疲れたとか、日常のストレス、嫁姑 親子のストレス 等々、治療を受けながら、日ごろのうっぷんを吐き出す場にもなっていました。

現代のような個の世界になってしまった中で、鍼灸院もその形態を変えていっても良いでしょう。

心理的ストレスからくる様々な不定愁訴、これらを解消するために視覚障碍者に企業では、あんまマッサージ師を雇用しています。

これなども癒しの面からも現代ストレスを解消し、病気になる前の防止作用があると考えます。

伝統的な鍼で成果を上げていたのに、高麗手指鍼が素晴らしいと思い込みすぎて、せっかくの患者さん・お得意さんを失った方を20年以上前ですがお会いしたことがあります。

確かに高麗手指鍼の秘めた力はいま実感していますが、その力は当時引き出せてはいませんでした。

唯一引き出して活躍されていたのは、気功が使える方たちだけでした。

我が金成万師と昔日本に来られセミナーを行ていただいた、金と言う名の大学で教えていた先生だけでした。

探せばもう少しいたでしょうが、一日200人も患者を診たとかがん患者まで治療できるというのは、この御二方だけだったかもしれません。

日本の鍼灸でも文献を読めば、かなりの疾患を治した実績はあります。

それを受け継げば腰痛肩こりの鍼と言う範囲を超えて、いわゆる名人級の頼られる鍼灸師に成れるはずなのです。

患者は痛くなく治療を受けられますし、口コミもあって安心して受診できます。

このような環境があるわけです。

たった一本の鍼で様々な病気を治される名人もいます。

伝統的な鍼は厳に存在しています。

身近の鍼灸師で患者が押し寄せて、新患は2か月先の予約と言う方もいます。

用途に特化すればまた新しい患者も開拓出来たり、その権威となったりもできるのがこの世界です。

さて習い始めた時金成万師がしきりに「この鍼の効果を早く実感するように、他の鍼の併用はしないように」としきりに言っていました。

確かに学生時代の実技でおなかが緩まないと、鍼は横において得意なマッサージで緩めていた同級生がいました。

このようなことをするとどちらも極めることが出来ないんじゃない?と思っていました。

しかしすでにアルバイトで働き始めていると、つい実戦で効果を出す必要に迫られてしまうのでしょう。

伝統的鍼を極めたら敢えて高麗手指鍼にまで、手を広げることはありません。

では現状打破を狙ってまたは期待して高麗手指鍼を学び、どの程度までの治療範囲を学ぼうとするのか?

そこをきっちり把握しておかないと、実は学んでも使えないということになってしまいます。

これは何も高麗手指鍼だけでなく、伝統的鍼灸セミナーを受講していて感じました。

私が高麗手指鍼を金成万師に習い、当時は手指鍼ブームが日本でも起こったあとでした。

その頃韓国で行われた「韓日学術大会」に参加され、発表されていた方がいました。

その方に10年ぶりでお会いしたのですが、ここ5,6年手指鍼から離れていたとのことでした。

彼は伝統的な鍼は上手かったので、元の得意分野に戻ったそうなのです。

彼のようなベテランでも高麗手指鍼で、治療効果を出すというのはなかなか難しいということです。

学んだ直後はなぜ韓国で爆発的にこの鍼が普及しているのに、日本では広がりを見せないかと疑問に思っていました。

手のひらに鍼を刺すととても痛い、服を脱がずに治療を受けられる長所が合っても、なおかつそれが欠点だと思っていました。

でもそれを超えて病院でもどこでも治るなら、患者さんは遠くでも来られるのです。

一時日本でもブームが起きたそうです。

それを体験してチャーター機を仕立て、韓国まで飛んだと言う整体師の方にお話を伺ったことがありました。

盛大だったそうです。

でも結局お祭りだったのです。

私が13年ほど前招かれて韓日大会に参加した時は、ロッテホテルの大広間に人があふれかえって、入れないほどでした。

約5千人の会員が押し寄せたのでした。

その前は1万人も来てホテルはパニックになったと聞きました。

それも今は夢のこととなってしまいました。

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