高麗手指鍼を教えることの意味 その2

教えるというのは二つの意味があると言いますよね。

1つは字の通り教えるです。

いま一つは自分がどれだけの知識を持ちそれを咀嚼し理解して、人に合わせて噛み砕いて誰にでも理解できるようにすること。

後者は難しいですよね。

かの風林火山で有名な竹田信玄の言葉「やってみせ、言って聞かせて、やらせてみせ、誉めてやらねば人は動かじ」

最後のところは別として、最初の3つは教育するのには必要欠くべからず要素です。

言って聞かせては、そもそも治療の原理だけでなく東洋医学西洋医学からみて、いまこれから行う高麗手指鍼とはどのような存在なのか、そこまで考えなければ学校教育レベルが低下しているので、それを補完してやらねばなりません。

私が入学した26年前はまだ昔ながらの体制が残っていたので、昔の先生がほとんどいらっしゃいました。

言葉は悪いですが、鍼で食っていた、食うことが出来た先生方でした。

ある先生が言っていました「情熱が無ければ、学校で教えることは難しいということです」

開業した方がはるかに儲かるからです。

同級生と先生達の給料はどのくらいなんだろうと、話のタネにしたことがありました。

我が東洋鍼灸は生徒のためを思って学費も安く、その代り校舎は戦前の柳谷素霊の自宅を改装した年季の入った建物でした。

戦前戦後歌舞伎町のはずれでススキの原に立っていた、4階建ての白亜の豪邸だったのでしょう。

通学した頃はラブホの真ん中に立っていた、おんぼろ校舎でしたが。

給料はおそらく三百万円ぐらいだろうというところに話が落ち着きました。

確かに情熱がないとやれない仕事だったかもしれません。

でも今は学校になって資格取得の通過点になってしまっているように見えます。

今の先生はどの程度の情熱なのでしょう。

開業はしてらっしゃるのかな?

あれだけブームだった東洋医学も終わって分かってみれば、昔ながらの稼ぐ場所ではないどころか、学費を納めて資格を取ってそれで終わりの世界がばれてしまいました。

でもそれは今も昔も何ら変わらないことなのです。

実績の合った東洋鍼灸専門学校でさえ、卒業生1クラス30名のうち開業はたった1人と言ううわさでした。

夜間部は年齢が高かった者が多く、はっきりとした目的意識と計画を立てていて、休みにもセミナーやどこかでアルバイトをしながら、実践経験を積んでいたものがいました。

入学も楽、卒業も楽、資格試験もよっぽどのナマケモノでもなければ、落ちるはずのない試験なのです。

昔もおそらく今も。

その先に天国のような世界があるはずもありません。

医学部は入学するのに高いハードルがありますよね。

偏差値と入学金です。

偏差値をクリアーすれば入学金のハードルは低く、逆は逆になりますね。

どっちにしても鍼灸資格とは、そのハードルの高さが違います。

でも社会に出た時そのハードルの高さは逆転します。おそらく。

医学部を目指したことが無く医者になりたいと思ったこともないので、良くは分からないのですが、医者がより技術を学ぼうとすればその情報はごまんとあるはずです。

天皇陛下の心臓手術を執刀された方など、テレビで見る限りその道をまっしぐら、先生のもとに通い良く努力されたようです。

でも西洋医学では専門分野を決めれば、その最高権威にまっしぐらに近づける努力をすれば良いのです。

東洋医学はまず自分のしたい鍼、鍼技術から探っていかなければなりません。

腰痛肩こり専門に決めればそれでも良いと思います。

ライバルが多い世界です。

かなりの疾患を治せないと、将来も安定して治療院を経営することはできません。

卒後の教育が鍼灸界でも問題になっているようですが、学校と同じような卒後教育では何の意味も成しません。

しかし卒業して何年かすれば、自分の生きる道をある程度狭めてきても良いころです。

そこに道しるべを与えてくれるのが、様々なセミナー講座の意味であると考えるのです。

勿論各人の覚悟はいると思いますよ!

山下詢先生のセミナーも2年半近く通い終了間近の時のことでした。

近くの2人にある人が近寄ってきて、「どうもお世話になりました」と声を掛けました。

一人が「何々さん、これからどうするんですか?」

「今度は入江(正 フィンガーテストを創始)先生のセミナーに行こうかなと思ってる、入江先生は天才だからね。じゃあ」

残った2人の話を聞いていると「何々さんは前のセミナーでも会ったんだ。あの人フランス語もペラペラなんだ。すごい人だよ」

でも開業はしてないんですね。

セミナーオタクになっていて、暇つぶしではないでしょうけど、なにしろセミナー渡り鳥になってしまっているのです。

この世界お金をもらって治してナンボの世界なのです。

しかし開業初めから押すな押すなの繁盛店には、ラーメン店でもありえない話です。

怖い不安定な世界に思いっ切って飛び込んで、おぼれて見なきゃ分からない世界です。

私も実際溺れかけましたからね、恐ろしさは十分理解できます。

腹をくくって高麗手指鍼にかけたのでした。

教わった通りではないですよ。

3年以内に坐骨神経痛の確実な治す技術、それが後に後縦靭帯骨化症も黄縦靭帯骨化症治療につながりました。

免疫を上げ整える理論の基礎と治療方を仮説として立て、そこに肝臓がん患者を治して今の免疫調整法につながったのです。

つまり飛び込んでこそ浮かぶ瀬もあり、なんですねこの世界は。

とはいえ高麗手指鍼の講座を開設するにあたり、あとは自分の裁量範囲と言うのでは身も蓋もありません。

少なくとも今現在の私の立ち位置までは来た頂けるよう、そう願ってどのような段取りをすればよいか思案中です。

いまにも死にそうな苦悶の表情で来られた患者さんに、3回6回でこの様に痛みが変わっていきますよ、その痛みは自分を傷つけるような痛みから、痛いんだけど絶えられるものに変わっていきます。

12回程度で治療は終わりますよと、最初から患者に治療経過を描いて見せてやる、そのようなことができるようになります。

免疫疾患などはそのようには行きませんが、少なくとも改善を図れる理論と技術は備えられます。

講座完成は正味3年ですが、その時生徒に追いつかれないよう、いまも前進前進の境地で研究を行っています。

追い付いて来れれるかな?

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