診断論診断技術 その2

手のひら先生が満を侍しまして「手のひら先生高麗手指鍼講座」開設するにあたり、その内容や考え方を理解していただくためのブログです。

本日購入するものがあり、秋葉原に行ってきました。

わが青春の秋葉原はすでになく大きく変貌していたことは確かですが、そこからさらに変わっていました。

「オーディオのモテギ」にお邪魔して、ビデオを撮ってきました。

近々アップします。

半導体素子、ダイオードとも言うのですか、講座内の授業内容に使う部品を買いに行きました。

総武線のガード下のラジオセンターは、土日はほとんどの店が休業状態でした。

さて鍼灸も日々進化をさせるべきでしょうが、そう簡単には行きません。

何しろ二千年前の治療家は、我々が考えている以上に能力があったと考えるべきです。

黄帝内経素問霊枢の中には、汲みつくせないほどの治療のヒントが隠されているはずです。

当時の医療技術では解明できなかったものが、いまの先端医療技術では意味づけが出来るわけで、その面からも研究は前進させていかなければと思います。

古典の研究と言えばこの漢字はいつの時代に使われていたとか、文字の研究になっています。

その当時この単語はこの意味だったとか、治療には結びつかないと私は思います。

鍼灸を学び始めたころは、それらの研究もした方が良いと考えたこともありましたが、いまはそのことよりもそのエッセンスをくみ取り、治療に全力を注ぐべきだと考えているのです。

前回アップした「心臓病治療」の中で語った、心経の調整を戒めた謎の解明などは、自画自賛していますが何か反響は無いですね。

このようなことがまだまだこの古典文書には散りばめられ、真の意味が隠されているはずなのです。

それらを解明できなかった二千年に、治療家たちは鍼そのものの理論や技術ではなく、実は気功のパワーに頼ってしまったのではないでしょうか。

それでは遅かれ早かれこの治療法は消滅してしまいます。

学生時代にも同じような言葉を聞いたことがあります。

「消滅しては困るから君たちに教えるんだ」とか言っていました。

がいま思い出すとそれほどのことはなく、鍼を使った気功治療にすぎなかったのですね。

さて診断技術の中に我々が最初に習うことは、六分定位脈診ではないでしょうか。

脈差診ではだめだ脈状診が出来なきゃとか言っていたのを聞いたことがあります。

何十年もそれだけやっていれば、そのグループの共通感覚としてそれらが形成されることはあるでしょう。

実際に「脈経」が存在してきたのだから、そのことは頷けます。

しかし時はいま、脈状診の指導者を探すことは至難の業なのではないでしょうか。

漢方の方でもそうですが、脈を取り腹診を行って両者が異なった証である場合、腹診を優先することになっています。

鍼灸でも同じです。

高麗手指鍼は手のひらで治療を行うので、改めて腹診を行うことは中々難しいことになっています。

我が金成万師は腹診もされていました。

しかし着替えが要らない便利さがあることで、腹診が出来ない状況にもあります。

診断に誤りが無いようにするには、やはり1つの診断方法をするのでは、いくら自信があったとしても避けるべきことです。

そこに脈をとることの重要性が出てきます。

人迎気口診を取り入れるのは、いまの日本人にとってはFT導入の難しさに、屋上屋を重ねることになってしまいます。

オーリングテストで脈診の代わりにするには、少々難しいとも思いますが、これを使ってクロスチェックすれば、誤診の可能性も低く出来るはずです。

気そのものを見たり感じたりする能力があれば、それを使ってのクロスチェックも良いでしょうね。

むかしある患者の脈を10人に診させたら、全員答えが違っていた。

だから脈診はインチキだという説がありました。

脈と言うのは触った途端に変化するので、術者が変わるごとに変化するので10の見方があってもいいはずだ。

言い逃れのような意見もありました。

患者側から見れば「バカヤロー」の集まりのように見えてしまいます。

学生1年生の時に壇上の先生から聞きました。

診断は確かに難しいものがあります。

感覚が優先するからです。

しかし感覚も磨かれ経験を重ねると、同じようになるのです。

山下先生は脈診を分析し、脈を構成している基本の形を、目に見えるようにしてくださいました。

私の今使っている入江式フィンガーテストは、独自に改良しています。

そして習い治療に使っているうちに「?」と言う場面に多々出会い、いまの形に行きついたのです。

それは我が金成万師の最初で最後の問答の中で、先生が最初に私に突き付けた質問に繋がっていくのです。

その答えが先生の考えと同じであったことで、さらなる疑問質問がかわされたというわけです。

またそのことの上に当時はいまのような考え方、ディメンションは思いもつかなかったのですが、その到達点の入り口に立っていたのだと思い返すのです。

診断技術はもっと進化してよいはずです。

人間と言うこの精密な有機体には、機械ではなし得ないような素晴らしい能力があります。

それを如何に多くの治療家が共通感覚として共有できるか、それが未来に繋がる医療なのだと思うのです。

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