鍼灸講座体験記 その3

学校の授業だけでは将来が見えないと、学外のセミナーに参加しまくりました。

それらの知識は私の今の血となり肉となり、あるいはもう排泄してしまったようなものもありました。

排泄してしまってもそれはそれで、反面教師として貴重なものでした。

さて気が付けば東洋鍼灸専門学校そのものが、その当時は鍼灸講座を受講しているようなものだったと、卒業してから気が付いたというわけです。

鍼灸のことなどイロハも知らずに入学したので、外部のセミナーに目が行ってしまいました。

ところが振り返ればその時の母校は柳谷素霊に習った、最期の内弟子と言われる先生も素霊師に治療を受けた先生も、新しい学校制度の前の形だったのです。

国家試験と引き換えに悪魔の改革が、鍼灸学校制度に取り込まれたのですね。

私が入学したのは早26年も前になってしまいました。

すべてが古めかしい感じでした。

初めての国家試験受験になるとか言って、3年間学内は何かと言って大騒ぎでした。

治療を習うというより西洋医学中心のカリキュラムになってしまったのです。

学校の体制がそれに形としてついていけなかったのですね。

でもそれが東洋医学としては正解なのです。

鍼刺しただけでは治りませんし治せません。

鍼灸は卒業してからが勝負の世界だったのですが、国家資格のための学校制度は資格のため試験のためになってしまったのです。

まだ学校は昔の儘で先生も昔の先生で、身分はほとんどが講師だったと思います。

皆さん開業していて、後輩を育てたいという情熱で講師をされていました。

実際の患者を診ているので、どの授業でも実技の話が聞けたのです。

失敗談から気の話怒られたり褒められたり、寺子屋と言った方が良いのかもしれません。

今の学校では先生になっていて、開業なんかしたことが無いのに教えているんじゃないでしょうか。

だから環境衛生の時間に鍼の話が聞けたり、あんまの授業中に鍼のツボの効果が聞けたりしました。

1年間教師になるコースに進むと、教科書を読む授業が始めることができるようになるらしいです。

ネットを見ていたら我が母校で教員のストライキがあったそうです。

鍼灸学校が就職先になってしまったのですね。

当時は事務員でさえ時期が来たら開業しようという人でした。

先生も経済的な事情もあったでしょうが、勤務時間を割いて授業を受け持ってくれたもでした。

不遜なことだけどもいま考えると、その頃の先生方を治療に関しては抜いてしまったなと思います。

能書きこくのは除いてですが。

これも40歳からの入学だったので、能書きをこけるようになるのか治療ができる鍼灸師に成るのか、最初から決めて突き進んできた結果の自信でしょうね。

でもお一人だけ抜けないこれからもと思う先生がいらっしゃいます。

東洋鍼灸専門学校でいまは鍼灸を教えていらっしゃる、井上良太先生です。

当時はあんまの授業の担任でした。

先生はトレーナーの世界では、神様のように思われているようです。

ただし私はそれは横においといて、授業中に先生が「気や気功」について話してくれたので、そこから今があると思っています。

まだあるんですよ、3年生になり先生が生徒の前で「気で温めたり、冷やしたり」する実技をされたことがありました。

「爺さんも親父も骨折は手で付けることができる。俺もできるがみんな違う方法でやっている」と言われたことがあります。

その当時私はすでに温めたり冷やしたりすることは出来ました。

骨折は開業してから機会があってつけることがで来ました。

でも先生はなぜか追い越したとは思えないのです。

気で感じるということでしょうか。

このようなことは学外の講座やセミナーでは、気功の講座以外では一切感じたことがありませんでした。

つまり灯台下暗しの譬えのように、当時の学校が一番の鍼灸講座だったのかもしれません。

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