私の鍼灸講座体験 その1

自分が体験したセミナー参加から、様々な問題を探っていきます。

鍼灸学校に入ってから、何か心配になりました。

私は定年退職後の第2の人生の仕事になればと考え、鍼灸学校入学を決めたのです。

ところが夜の部の学生の全員が卒業後の開業を目指しているのを知り、卒業後なるべく早く私も開業したいなと思う様になりました。

私の入学したのは26年も前で何も知らずに入ったのですが、その年から国家資格になるというわけで大騒ぎになっていました。

歌舞伎町裏にあった東洋鍼灸専門学校でした。

これは柳谷素霊師が設立した由緒ある学校とのことでした。

と言うのはあとで知ったことで、何しろ仕事を終えて通える学校がここしかなかったというだけのことでした。

入学してせっかくなら開業をと考え始めると、勉強を始めることとなりました。

その頃は1日体験セミナー、1日講座が良くありました。

「医道の日本」と言う雑誌に広告が載っていたので、切り抜きをして次はこれ次はこれと順位をつけて、1年生の時は参加するようになりました。

今でも参加しておけばと思ったのが「福島弘道師の1日講座」でした。

ところがスケジュールが合わず参加できませんでした。

同級生が参加していて感想を聞いたのですが、「治療体験で腰痛の生徒に、ハイ終了しました。」と言うのを見ると、何と鍼が下に落ちていたというのです。

福島氏は視覚障害者だったので、鍼が落ちても気が付かなかったのだろうくらいに思っていました。

いまは全く違います。

彼は伝記を読めば理解できるでしょうが、相当な気のパワーの持ち主だったと思われます。

弟子入りについて書きましたが、その中で先生の会に参加しかつ治療も受けていた方の話をのせました。

これでもその力は十分に理解できることと思います。

小野文恵師の主催していた東洋医学会主催の「接触鍼」の1日講座も参加しました。

のちにご長男の授業を3年生に受けることになりましたが、このような珍しい鍼もあるものだと知りました。

ここで驚いたのがすでに開業されている鍼灸師の質問が、1年生の我々にもびっくりするような稚拙なものだったので、この世界がいかに広いか溜息をついたこともありました。

何か焦っていたのですね。

3か月過ぎたころからいろいろな先生に質問をするようになりました。

「何か良いセミナーは無いでしょうか?」

すると全員が「ここで学べば十分だよ」と言うものでした。

あとで考えれば、当校の創立者柳谷素霊師は昭和の鍼灸を引っ張っていた人でした。

その人に教えを受けていた先生方なので、学校にいれば最先端の授業も技術も修得できたというわけでした。

2年生になってから、自分としては刺鍼の技術が納得いかなかったので、そのようなセミナーに参加しました。

会での技術や理論に得るものは一切ありませんでした。

しかし鍼灸界と言うものがこんなものなのか、反面教師的に知ることが出来ました。

ダメなセミナーでも何かしら得るものがあり、それをばねに次は本当に自分に合った選択をするようになります。

そして参加者といろいろなことを話すことでまた知識が広がりました。

これは生の声なので、体験から得た貴重な財産となりました。

「医道の日本」と言う鍼灸雑誌、人に言わせると半分が求人、半分近くが宣伝、残りが鍼灸論文やニュース記事だそうです。

しかし鍼灸講座などはここに多く載るので、私は重宝しセミナーの順位を付けながら、袋に切り抜きを放り込んでおきました。

このやり方はのちに「超整理法の中にも書かれていたので、な~んだと思った記憶があります。

そこで見つけたのが「山下詢先生の講座」でした。

またその頃に気功の講座も見つけたのです。

次回に続く。

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