「手のひら先生高麗手指鍼講座」の応募開始です

講座の募集を開始いたします。

鍼灸師を目指して入学した時のときめきや将来の夢覚えていますか。入学してすぐ先生が「将来開業を目指している人は?」と言う呼びかけに、全員が手を力強く上げましたね。その時の高揚した感覚覚えていますか?それが1年目終了頃からこの業界を知り始めると、少し夢から覚めなかったですか?2年生になると実技実習に入り、その難しさを覚えてきます。3年生になるとこの業界の現実が分かるようになります。すっかり夢は遠のき、この世界で生きる難しさばかり目立つようになっていませんでしたか。

私は夜間部の生徒でしたから、同級生の多くは仕事を持っていました。卒業と同時に元の職業に戻りました。夢と現実のはざまは大きいのです。唯一後のない者が必死になって、数年後開業にこぎつけるのです。その確率は昔から三分の一、30人のクラスで1人と言われていました。今は規制緩和で学校が増えたため、100人で1人ぐらいの開業率かも知れません。

なぜそのようになるかと言うと、学校は単に資格を取るためのところにすぎないからです。社会に出てから鍼術を学ぶセミナーがあっても、病気を治す方法を教えてくれるところではありません。セミナーでは理論と鍼の刺し方、ツボの選定と治し方を教えてもらうところです。それを手に入れるには昔から語り継がれている、唯一の道は弟子入りと言うことでした。しかしその道に進むには狭き門でした。多くの難関を越えて手にしたものだけが、その道にたどり着くことが出来たのです。

医師なるには6年間学び国家資格試験受験資格がもらえます。まずその前に医学部受験と言う高い壁がそびえ立っています。授業料の安い国立大学を目指せば、偏差値が高くなり必死になって勉強しなければなりません。私立の医学部なら授業料の工面もしなければなりません。

昔は医師国家試験は普通に学んでいれば、簡単に取得できると噂にありました。最近は留年する学生が増えてきて、試験まで順調にたどり着けないそうです。

鍼灸師は3年で受験資格が取れます。でもそれは資格免許が取れたということで、治せる治療効果を出せる保証は全くありませんね。その代わり治せるまでに様々な障害があるのです。食べられるということが真っ先になるでしょうね。その段階で学生時代に厳しさを知り、卒業とともに元の仕事に帰ることになるのです。

その厳しさを体験し更に多くの患者さんに接し、努力してさらなる高みを目指そうという、そのような方に応募していただきたい。学校に行けば教えてくれる資格を取得できる、そのような考えの方は応募しないように願います。

伝統的な鍼灸術を修めれば、日本では十分に生活できます。順調に開業できるはずです。しかし自分は腰痛肩こりから脱して、更に苦しんでいる患者さんを救いたい、さらなる鍼灸の秘めたさらなる高みを目指したい、そのような方の応募を願うのです。

一定の効果ある薬を処方するのとは違います。患者さんを診立てて鍼を刺し、気の運用をする。常に勉強をして次の来るべき段階に備えて、日々研究努力する、そのような心構えがなければ、ついていけなくなります。同級生先輩とコミュニケーションを取り、切磋琢磨して学ぶ気持ちがなければ、求めるものは得られません。

医師だって何本も論文を読み、新薬を探し選択し、研究会に属して日々努力していることを考えるなら、鍼灸師も土俵は異なれど同じような努力を続けられなければなりませんね。

弟子入りが何故昔から治せる鍼灸師になる、最も早い近道なのかを長い間考えていました。その結論は師匠から「病気を治せる気」をもらえるということが、弟子入りと言うシシステムの中心にあるという結論に至ったのです。

当講座では最初に「気とは何か」を、次に治療家の「気のつくり方」を教えます。ツボも大事鍼の運用も大事、でも最も大事なのは鍼灸師の気をどう作るかなのです。鍼を何本も刺してもそこのパワーは上がりません。鍼は必要最小限で良いのです。

まずこれを学びそれから穴・気脈(経絡)・鍼の刺し方・穴の運用等々と進んで行きます。おそらくどこにもないような、新しい方式で伝統ある治療法を教えることになります。

更に手のひら先生スタイルの高麗手指新講座では、ディメンションと言う概念を取り入れました。発端は耳鍼開発者のフランス人医師、ポールのジェ博士のディメンションから刺激を受け、手指鍼の中にも取り入れた物です。

しかしないような全く異なります。治療に関すれば全く独創的で、鍼灸二千年年の歴史に光を当て、新たな扉を開くものと自負しています。腰痛肩こり治療から、免疫疾患(がん リウマチ 免疫疾患全般) 脳疾患後遺症 肺疾患 婦人科疾患まで、いままで鍼灸では不可能であった疾患までを治療対象にできます。

だから切磋琢磨しないと取り残されてしますのです。

ところで最近キンドルストアで「北斗の拳」を読みました。2巻目でですが。その時初めて知ったのですが、気功の師鳥居隆篤先生が「ラ王」のモデルだった。いやーそれで短期間に鍼灸師の気を習得できたのだと悟りました。でもその先の「気とは何か」これはもう30年近く考え続けて、やっとい最近これかなと言う結論が出ました。

「お前はもうすでに死んでいる」聞いたこと見たセリフではあったんですが、やっとその意味を理解できました。私ならさしずめ「お前はすでに鍼灸師の気を持っている」と言えたら良いのでしょうか。

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